とある日、私は年上で、入社年が後の後輩から相談を受けた。
その相談を聞いて、タイトルの通りに感じた。
実際に何がどうなのか、と言う話と、どうしてそのような結論に至っているのか、と言う話をそれぞれ残していこう。
誰かに何かを伝えたいという思いももちろんある。
何かに悩んでいる方が、この記事を読み、少しでも何かの力になれれば嬉しい。
その一方で、今人の痛みを感じることができていない自分に向けた、自戒の念を込めて記す。
とある後輩からの相談
私はとある日、以下のような相談を受けた。
「最近、自分の仕事のできなさ加減を痛感して、毎日辛いんです。周りはみんなできる人だし、先を行っているし。自分は何にもできなくて、毎日会社に来るのが辛い。朝も起きれず、今日もまた行きたくないと思いながら会社に来ることが増えました。」
まず、衝撃を受けた。
日々の仕事ぶりの中から、そのようなことを感じることは全くなかった。
そして、性格的にもそのようなことで悩むと言うより、どんどん突き進んでいくタイプの人間だと思っていた。
しかし、やはり、人は人。誰にでも抱える悩みがあるのである。
聞いた時の私は、、、
正直ものすごく共感できた。
なぜなら自分も過去にそうだったから。
人と比較する。
自分のできないところに目がいき、そこばかり気にしてしまう。
失敗に目を向けて、成功することのイメージができていない。
昔からそうだった。
- 野球部だったが、
- 「監督に怒られたらどうしよう。」とビビって怒られないようにプレーする。
- 「自分じゃ相手を抑えられないかも。」と弱気になって中途半端に終わる。
- 社会人になってからも、
- 同僚の方が仕事ができて、「自分」は向いてないんじゃないかと思う。
- できないことを突きつけられ、また月曜が来るのが怖い。
ということが、たくさんあった。
その時も、「自分ができること」に目を向けておらず、
できなかったらどうしよう、怒られたらどうしよう。と言うことばかり考えていた。
その相談について
ここからは、私がその相談を受けた際に伝えたこと、そして家に帰ってから反芻して感じたことをそれぞれ、自分の学びとして列挙していこう。
相談の際に伝えたこと
- 相談をしてくれたことへの感謝。
- 折れずに、成長したいと思ってくださっていることが嬉しい。
- 現在の自分の状況として、不調は出ていないのか。
- 自分も過去にそんなことがあった。
- 自分の乗り越えは、「ジャーナリング」と「仕事を楽しむこと」の2つ
それぞれ記す。
相談に対する感謝
まず、そのようなことを打ち明けてくれる実直さと成長意欲。
これに感謝を感じた。もちろん、諦めてもいい。なぜなら、ただの会社員だから。
他にも仕事はある。別に他の仕事に移ったっていい。それでも、今ここにいてくれること。
その気持ちに感謝が溢れた。
成長に対する喜び
諦めたくない。できるようになりたい。と言う思いに対しての嬉しさがあった。
入社してくれ、自分の成長や会社の成長のために頑張ってくれていた。
もっとできるようになりたい。と言う思いに率直に喜びを感じた。
不調の状況と過去の自分
自分のにも過去にそのような状態になったことがあることを打ち明けた。
できなさ加減による自分への追い込みで、ストレスからか、「胃が痛くなる」「心臓が痛くなる」「血便が出る」こんなことはしょっちゅうあったので、体の異変がないかを確認した。
私を変えた「日記」と「楽しむこと」
そんな私を変えたのは、とある瞬間だった。
5年目にしてようやく、「レベル上がった感ある」と代表のの口から言われたのである。
正直、私はやっとここまで辿り着けた。と思った。
と同時に、自分を変えたものは何かを振り返ってみた。
それは、
- 毎日のジャーナリング
- 仕事を遊びとして楽しむこと
の2つであった。
前者のジャーナリングは、「毎朝30分」で自分が思っていることをとにかく書き出し、今現状は、どんな感情なのか、それに対してどうしたいのか。逆に今後どんな自分でいたいのか、そのために今何が必要なのか。自分の成功とは何か。昨日あった感謝すること。
などなんでも書き出す行為をした。
別にきまりがあるわけでも、正解があるわけでもないから、自由に書き出していい。
そうすることで、自分の脳内が整理され、「意外と大したことないんだ」と思えるようになった。
後者の「仕事を遊びとして楽しむこと」は、自分ができることを最大限に発揮するために、仕事に対する向き合い方を変えたのである。
これも、自分がどう捉えるか。仕事をどのように捉え、どのように成果を出すか。
もちろん決められたことを決められた通りにする必要がある仕事であれば限界があるかもしれない。
ディズニーのような超オペレーション職であっても、ディズニーが掲げる理念に近い行動は、キャスト自身がマニュアルがなくとも取り組むはずである。
結局は自分がどのように捉え、主体的にどのように動くのか。と言う話に帰着する。
7つの習慣の第一の習慣でもそのように事象を自分でどのように捉えるかで、人生が大きく変わる。といったことも述べられている。
人の本当の痛みはその人にしか知り得ないこと
その後、私は家に帰りひどく後悔をした。
考えたのだ。
「本当の痛みや悩みは、当人にしか分かり得ないこと。」
「他の人は、親身になって聞くけども、その人の辛さは分かりきれないこと」
「他の人からは、”大したことない”ことでも、当人にとっては重い悩みであること」
コンプレックスや顔にできたニキビなどが非常に分かりやすい。
他の人からしてみれば、「全然そんなことないよ」とか「大丈夫だよ」とか「そんなに周りは気にしてないよ」とか思うが、本人にとっては、しっかりと悩みなのである。
他人が、どのように言おうが、そのコンプレックスを褒めようが、本人の思いが変わることがなければ、本人には全く響かない。
だから、アドバイスを求められても、当人の悩みが解決するわけではなく、そのアドバイスをきっかけに、痛みの捉え方を変えさせることができなければ、当人の痛みは消えない。
ここが難しい。
人によって、同じ事象でも、感じる悩みや痛みの大きさは異なるのだ。
だから、無理に押し付けがましいアドバイスはしてはいけない。
ましてや、相手の痛みを軽んじる発言でをしてはいけない。
私たちにできること
そんな中でも悩んでいる人がいたら、できることがある。
それは、自分の思いや経験を率直に伝えること。
押し付けるわけでも、無理強いするわけでもない。
ただ、相手の話を受け、率直な自分の思いを伝え、相手の痛みの捉え方を変えてあげる手助けをするだけである。
絶対に、痛みの捉え方を強引に変えるようなことはしてはいけない。
そもそも、相手に刺さらないし、なおさら折れる可能性がある。
もちろん、自分の率直な思いを伝える中で、相手に強く入ってしまうこともあるかもしれない。押し付けがましくなってしまうこともあるかもしれない。
でも、無理に変えようとしないでほしい。
悩みを聞いた人ができるのは、相手のことを慮り、最大限の寄り添いと自分の経験から言えることを伝える。そしてそのあとは、本人の変化を見届けてあげる。
その変化の中で、少し背中を押してあげることがあってもいい。
そんな支えになってあげることが、最大限の手助けだと思う。
人の痛みがわかる人でありたい
いろんな経験をすると、もちろんいろんな壁にぶち当たり、いろんな痛みを知ることになるだろう。
しかし、その壁も人の捉え方や能力次第である。
決して、皆が同じ痛みを抱えられるわけではない。
私たちは「人の痛みがわかる人でありたい」「悩みを解決させたい」という人間のエゴが働くが、本当にそうすることはどこまでできるのだろうか。
結局、痛みを軽減させることができたり、悩みを解消できたりするのは、自分の捉え方が変わったり、考え方が変わった時なのではないだろうか。
その機会を作り出してあげること、その機会に気づかせてあげること、そして見守ることが周りにいる人のできる最大の努力なのだろうと思う。
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