自分に自信がない
自分の強みがわからない
他の人に比べて自分は何もできていない
そんなことを思うあなた。
いつになったらその悩みは消えるのか。
かつての私もそう思っていた。
求められているレベルでの活躍ができないし、
同期は、自分よりも前に進んでいくし、
できないことに対して、嘆いている暇などない。
社会人3年目までの自分は、圧倒的に「自己肯定感」が低かった。
今振り返れば、あの時、本当に必要だったのは、
「自己肯定感」ではなく、「自己受容」だったなと、今思う。
もし同じような悩みを持つ人がいるのであれば、その人に届いてほしい。
そんな思いで認めよう。
“自己肯定”と”自己受容”
似たような言葉の2つ。
実際に、どちらがどんな言葉で、「自信がない」というそんな方には、どちらが必要なのだろうか。
仮にも、「どちらか一歩だけが必要で、どちらか一方は不要」ということを論じたいわけではないことは、先にお伝えしておこう。
自己肯定
自己肯定感という言葉はよく聞いたことがあると思う。
そのまま受け取ると「自分を肯定すること」
世の中の人は、これをできずに苦しんでいることが多いように感じる。
自分が周りと比べて成長が遅かったり、できないことが多くて劣等感を感じたりしている。
自分を肯定するために。
自己肯定は必要か
正直、必要か必要でないかと聞かれれば、それは「必要」と答えざるを得ない。
あって損するものではないから。
でも、絶対に必要かと言われるとそうでもない。
一方、誰もが考えるような
「他人と比べて、自分はできない。」
「他よりも、自分が劣っている。」
「自分に強みなんてない。」
こんな考えは、絶対にいらない。
自分を否定しているから。
本当に必要なのは、”自己受容”
自己肯定を否定するわけではない。
ただ、
「自信がないものに対して、根拠のない自信を持て」
「出来もしないことを、自分はできると自分を騙す行為をしろ」
と言っているわけでもない。
本当に必要なのは、「自己受容」である。
自己受容とは
できないことがあっても、そのまま、ありのままの自分を受け入れ、できるように前を向いて進んでいくこと。
である。
別にできないことが悪いわけではない。
仮に60点しか取れないのであれば、その60点であることはまず受け入れる。
そして、「何が足りないのか。」「どうやったら100点になるのか」を考えて、行動すること。
これこそが、「自己受容」である。
もちろん、他に100点をとっている人がいるとしても、
あくまでもそれは、他人の人生であり、「自分の課題」ではない。
つまり、他人がどんな点数を取ろうが、自分の人生には、なんの影響も及ぼさない。
自分は自分が目指すところに対して、「ありのままを受け入れ、どうやったら辿り着くのかを考える」ことが重要なのである。
これは、かの有名な「アドラー心理学の”目的論”」から引っ張ってきている内容である。
気になる人はぜひ、読んでみてほしい。
★★★★★★★★★★★★★
肯定的なあきらめ
また、アドラーは、「肯定的なあきらめ」という言葉も残している。
決して否定的なことではなく、「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極め、
「変えられるもの」に注目することと、説いている。
変えられないものは、どう頑張っても変わらない。
それは、天から何を与えられて育ったか、という「過去」や「生まれ持った特性」
一方変えられることは、
「その与えられたものの中で、自分がそれをどう活かすか。どう使うか。」ということである。
あきらめの語源は「明らむ」であり、物事を詳らかにすることを意味する。
現代の意味で言うと「物事を断念する」という意味になっているが、「肯定的なあきらめ」というのは、「自分ができることをあきらかにした上で、できないことではなく、できることに目を向け、前に進んでいく」ということにを意味する。
今のあなたに必要なのは、”自己受容”
ここまで、「自分に自信がない」と言う方にとっては、少し受け入れ難い内容だったかもしれない。
私も、自分に自信がない時に、これを言われても
『とは言っても、他の人ができるのに自分ができないのは、焦るし、嫌だ。』
そんな感情になるだろう。
ただし、そんな感情になり、自分を受け入れることを拒めば、結局負のサイクルに陥る。
自分はできない。
だから、前に進めない。
前に進まなければ、できるようにならない。
できなければ、自身もつかない。
そんな負のサイクルになんの意味があるのだろうか。
一次の感情として、受け入れ難いことはよくわかる。
自分もそうだったから。
でも、ありのままの自分を受け入れないことは、「自分を愛することができない」と言うこと。
どんなことがあっても絶対に、自分の味方でいることができる最も身近な存在は、自分だけなのだ。
たとえ、世界中の人が、あなたを嫌っても、自分のことだけは、ずっと愛してほしい。
その、一歩目が、自己受容だと思う。
もし、「自信がなくて、それでも自己受容ができない」と思うのであれば、最後に。もう一つ
その自信はいつつくのか、どうやったらつくのか考えてみてほしい。
きっと、自信がついても、さらに、その先にあるもっと高い景色が見え、またさらに自信がなくなる。イタチごっこになるだろう。
だから、「自信をつけること」を最初にやらずに、「ありのままの自分を受け入れること」から始めてほしい。
少しでも、前向きに進める人が増え、みんなの未来が前向きに好転することを祈っている。
私も、今、この瞬間から、また頑張っていこうと思う。
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