今あなたは幸せですか?
この質問に、素直に「はい」と答えられる方は、今すぐにこの記事を閉じてください。
読む必要はない。
本記事は、自身の経験をもとに、自戒の念をこめて書こうと思う。
冒頭の質問に即答えられるかどうかは、とある「考え方」1つで大きく変わる。
それが、【原因自分論】である。
この言葉を本当に理解して、実践できている人はどのくらいいるのだろうか。
実際のところ、私も本気で理解し切って、実践できているかと言われるとそうでもないかもしれない。
だからこそ、自分への宣言と自戒の念をこめて書くのである。
原因自分論とは
こんにちは! 27歳 年収1000万円サラリーマンです。
今回も漢を磨く話を、お伝えしていきます!
そもそも、原因自分論とは何か。
簡単に言うと「自分に起こる現象は、自分が原因で起こっている」と言うこと。
まずはこれを認識しよう。
ただし、勘違いしないで欲しいのは「自分が悪いからその現象が起きている」ではないこと。
まずは覚えておこう。
自分に起こる現象は、自分が原因で起こっている
具体例①〜会社の残業編〜
日常で考えられることを例にとって考えてみよう。
【残業】
「毎日残業辛いな〜。会社の仕事が終わらないよ….」
「忙しくて、自分の好きなこともできないよ。」
よくこのようなセリフ、どこでも聞くはず。
そして、原因自分論でない人は、こう考える。
また、仕事をさせられている。
なんで自分ばかり。
早く帰りたい。
これを原因自分論で捉えてみると
仕事の仕方が悪いのかもしれない。
何も聞いたり、考えたりせずに引き受けてしまった。
そもそも、この会社を選んでいるのは自分である。
この考えを持つだけで、「気持ちのゆとり」が大きく異なってくるだろう。
具体例②〜喧嘩編〜
友達や恋人、夫婦同士の喧嘩をした時なども考えられる。
「あの人はわかってくれない。」
「自分のことばかり考えている。」
「何回言っても理解してくれない。」
なんとも日常茶飯事の会話にありそうな、一節である。
これも原因自分論で考えてみよう。
「ちゃんと伝えられていないのではないか?」
「自分は、ちゃんと相手のことを理解した上で、行動しているのか?」
「もしかすると、伝え方が悪かったり、自分がストレスを与えてしまっていたりするのか?」
このように、「自分に原因がある」という疑いを持つことである。
注意点
しかし、ここで注意すべきは、以下の通り。
「自分を責める」わけではないこと。
これだけは勘違いしないこと。
決して、「自分が悪い」とか「自分だけもっと頑張らないと」と自分を責めることが「原因自分論」ではないことは理解しよう。
誤ってこのように捉えてしまうと
- ブラック企業で働いているのに「自分ができないから悪いんだ、もっと頑張ろう。」と無理をして体を壊してしまう。
- 不当ないじめを受けているのに「自分の身体的特徴が悪いんだ、なんとかしないと。」と自分を責めすぎて、うつ病になってしまう。
- 家庭が貧しい状態でしょうがないのに、子供が「自分がもっと頑張らないから悪いんだ」と責めること。
などが起きてしまう。
決して、「自分が悪い」と責めるのではなく、あくまでも「自分にも何かできることがあるのではないか」という観点で、物事を考えるくらいの前提が望ましい。
注目すべきは「変数」
ここまで、原因自分論についての記述だったが、注目すべきは自分だけではない。
“変数”に目を向けることが幸せの鍵である。
変数と定数
世の中には、「自分の力で変えられるもの」と「自分の力で変えられないもの」がある。
自分で変えられるものの代表例は
「自分」と「未来」
変えられないものの代表例は、
「他人」と「過去」
有名な話である。
どんなに頑張っても、「起こしてしまった過去」は変えられないし、
どんなに頑張っても、「他人」にきっかけを与えることはできるが、変わるのは本人自身。
原因自分論の本質は「変数」
つまり、ただ「自分に原因がある可能性も考慮しろ」と言いたいわけではなく、
「自分が変えられるものに目を向けて生きよう。」ということを言いたい。
何か昔失敗したとしても、未来は失敗しないように変えられるし。
上司に嫌味を言われて、イライラしても上司は変わらないが、自分は行動を起こすことができる。
そうやって、考えていくと、自分に「幸せ」が舞い込んでくるものである。
幸せとは相対的なものである
幸せは、あくまでも相対的であることは、周知の事実だろうが、明言しておきたい。
100万円もらえて、ハッピーな人もいれば、そうでない人もいる。
毎日ご飯が3食食べられるだけで、「幸せ」と感じる人もいる。当たり前と感じる人もいる。
この感じ方の違いは、結局変数である「自分の考え方」を変えているだけ。
別に「何に幸せを感じろ!」とか、「お前の幸せはこれだ!」と強要されることもない。
何を目指し、何を行い、何を感じるかはその人次第。
だから、結局「自分が選んでいる人生」と”原因自分論”で考え、最も幸せだと思う選択をすることが幸せなのかなと思う。
時にはイライラしたっていい。
人は誰でも、イライラすることがある。
人は誰でも、人を責めたくなったりする。
人は誰でも、他人のせいにしたくなる時もある。
人間みんなそんなもの。弱い生き物だから。
でも、「他責で他の人のせいにする」の考えでいいことなんて1つもない。
人のせいにして、自分に幸せが舞い込むだろうか。いやそうではない。
自分の人生なんだから、自分の選択に責任を持って誇らしく生きようじゃないか。
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